ビートルズ・コンサートの警備

●たった一度の来日公演
1966年6月29日ビートルズが東京にやってきました
6月30日、7月1・2日合計5回のコンサートをやるためです。

デビューして4年目にやっとビートルズが日本に来てくれたのですが、ビートルズはこの年を最後にコンサート活動を止めたので、この年に来日公演が実現しなかったら、永久に日本でのビートルズ公演が無かったことになります。

1度でも日本での公演が実現したことは、日本にとっても財産であり、とても良かったと思います。
当時は多くの批判的な人々が多い中で、ビートルズ公演の実現に向かって実に多くの組織に関係する多くの方々の理解・熱意・努力なくしては実現し得なかったことは言うまでもない。
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●頭が痛い警備問題
日本公演がなかなか決まらなかったのは、1つには会場の問題、もう一つは警備の問題がありました。

当時の首相はノーベル平和賞を授与された佐藤栄作首相でした。
ビートルズが日本に来ることになって、佐藤首相は「ビートルズの警備で頭が痛い」と言ったそうです。

警視庁はビートルズ対策会議を開き、大規模な警備体制を取り3万5千人の警備員と機動隊を投入することとしました。
この警備体制は、1960年安保闘争を除けば警視庁創設以来の大規模な警備体制で、1964年の東京オリンピックの時以上の警備体制だったようです。(オリンピック関連の資料を下記に載せておきます。)

何しろビートルズはイギリスの貴重な外貨獲得資源・英国の貴重な財産でしたから、何かあっては国際問題になるので厳重な警備体制がとられたようです。
というよりは、ビートルズは英国のみならず世界の財産であったと思います。

この時の警備の様子が、後世の警備体制の参考になるよう記録映画「ビートルズのすべて」として、警視庁により制作されています。


●武道館を初めて武道以外で使用
会場は、日本武道館でしたが、現在ではよくコンサートに利用されています。

当時は武道館は日本の武道の殿堂であり、青少年育成の場であるとして、ロックコンサートに使用するのはとんでもない非常識な話として、再三断られたそうだ。

しかし、当時1万人収容できる屋内施設はここぐらいしか無かったので、イギリス側からの重ねて強い要請もあり色々経緯はあったようですが、やっと武道館を使用できることとなったようです。


●チケットは安いが入手は超困難
チケット料金は、一番高い席で2,100円でした。
これはビートルズのマネージャー側から6ドル以下との条件があったためです。
360円×6ドル=2,160円ですので、これをクリアしています。
(当時は、1ドルが360円の超円安で、日本の高度経済成長の一因だった。)

入場料を安くする条件を示すところはかなり良心的なマネージャーであったと思われます。
チケットは安いのですが、これを手に入れるのは大変難しかったようです。

※この様子が、NHK朝ドラ「ひよっこ」にも登場し、歯磨きを大量に買い込むシーンがありました。
歯磨きの空箱2つで1口のチケット抽選の応募が出来、その当選確率は1%未満。
ドラマですが、1枚のチケットを入手するのに大量の歯磨きを購入していました。

私の友人は、そのチケットを何と! 2枚も入手して兄弟でコンサートに行ったのですが・・・ライオン歯磨きが家じゅうにあふれていたとか??・・・多分、別の手段での入手でしょうね。

1回あたり1万人×5回公演=延べ5万枚ですが・・・、
内訳は、ライオンが5,000枚、東芝2,000、読売・中部20,000枚、協同企画8,000枚、
ファンクラブ4,000枚、日本航空3,000枚、その他8,000枚です。

日本航空の3,000枚ですが、「大阪、福岡、札幌からの東京便とコンサートがパック」になったものなので、中には手に入れるために東京に住む人が、わざわざ福岡や札幌に行ってそこから東京に来たという人もいたそうです。


●公演のビデオ
東京公演の白黒テレビでのライブ放送があった。
この時の公演が当時開発されたばかりの2インチ高画質カラービデオテープで収録されていて、数少ないカラーのビートルズのコンサート映像の中でも世界的に類を見ないもので、日本国内のみで発売された。
そのビデオは海外ファンの間ではかなりの高額で取引されていたらしいです。

実は私、これを無理をして購入し、現在も持っているんです。
ビデオを見ると、マイクのセッティングがまずくて、リズムを取りながら歌う振動でだんだんと横にずれていって、何度もポールマッカートニーがマイクの方向を直している様子が非常に気になりました。
このビデオは版権の問題で、再リリースは不可能と言われているので、もう手に入れるのは困難です。

しかし、YouTubeではいとも簡単にこのビデオ画像を見ることが出来る。
※YouTubeで、以前見たビデオを探したが、削除されていたようだ。見つかったのは「音源+写真」と「音源+動画の一部」だった。

※この公演でテレビで収録されたのは6月30日の夜と7月1日の昼の部の2回。
7/1はマイクセッティングは直してあるので、販売されたビデオは6/30収録したもの。
なお、7/1収録ビデオはビートルズ側が持ち帰ったので、残されていなかった。



●当時からあったフェイクニュース
公演の翌日、朝日新聞が記事にしている。
「1曲目のツイストアンドシャウトから始まりヘルプ、プリーズプリーズミーとヒット曲が続くと少女たちの熱狂は頂点に達した・・・」と書かれていたが・・・、
記事にある3曲は1つも演奏されていない。
明らかにコンサートを見ないで推測で書かれた記事だというのがハッキリとわかるものでした。

当時演奏された曲は、演奏順に(全11曲)
①ロック・アンド・ロール・ミュージック、 ②シーズ・ア・ウーマン、
③恋をするなら、 ④デイ・トリッパー、 ⑤ベイビーズ・イン・ブラック、
⑥アイ・フィール・ファイン、 ⑦イエスタディ、
⑧アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン、 ⑨ひとりぼっちのあいつ、
⑩ペイパーバック・ライター、 ⑪アイム・ダウン

Hunter Davies著 「The Beatles」 1968年発行によると、ビートルズ側から見て、この公演のために日本人が選んだプログラムは、日本のビートルズファンが世界で最も教養が高いことを知らされたそうだ。(つまり、普通ならシー・ラヴス・ユー、ツイスト・アンド・シャウト、プリーズ・プリーズ・ミーなどの超ヒットしてよく知られた曲が選ばれるが、そうでなかったのは、日本人の教養の高さを示している。)


●警備の規模を知る参考資料
ビートルズ公演の警備は、1964年のオリンピックの警備を上回った。
しかし、2020年のオリンピックはそれを上回る。

でも、ビートルズの公演は3日間で、会場は1つだが、
オリンピックは、1964年は15日間、2020年は17日間で、かつ会場数が多く東京都内だけではない。

このことを考えると、いかに警備体制に力を注いだかが分かる。
なお、警備の総指揮に当たったのは、当時警視庁警備課長の山田英雄氏で、着実に出世し、後に警察庁長官になり、昭和天皇在位60年式典、第12回先進国首脳会議(東京サミット)などで過激派対策の警備の陣頭に立った。

●1964年の東京オリンピック
・1964/10/10開会式、10/24閉会式の15日間。会場は東京都内をはじめ、埼玉県、千葉県、神奈川県、長野県にわたる広範囲。
・選手村の警備は警視庁の他に陸上自衛隊も担当した。朝霞駐屯地の隊員約360名が7月16日より大会終了後まで交代で任務についた。
・オリンピック組織委員会が、代々木選手村の整備期間中及び大会期間中の警備に際して、警察官の人員不足を考慮して、民間警備会社『日本警備保障』(現在のセコム)に警備の依頼を行った。
この民間警備会社による警備が無事に終了したことを機に、日本の社会に民間警備が認知されるようになった。

●2020年の東京オリンピック・パラリンピック
2020年7月24日から8月9日までの17日間。
五輪組織委員会の警備計画は、警視庁などの警察官21,000人、消防・救急が6000人、民間の警備員14,000人、ボランティア9,000人などによる総勢58,500人による過去最大規模になっています。
ほかにも、最新の防犯機器などを導入して万全を期しているようだ。

この記事へのコメント

  • 小枝

    羽田空港のタラップを
    法被を着て降りてきた4人の姿
    今でも目に焼きついている一人です。
    部屋の壁に雑誌の切り抜きを
    べたべたと貼ってたなと思いだしました。
    ポールのファンでした^ ^
    2019年01月09日 14:12
  • わけい

    小枝さん、コメントありがとうございます。
    小枝さんもビートルズファンだったそうで、大変うれしいです。
    ポールは現在も現役で、日本によく来てくれてうれしいです。
    ポールとその仲間は、昔はスタジオ以外では再現できないと思われていた曲も難なくライブで披露してくれるので、凄いです。
    考えてみると、私の青春はビートルズそのものだったような気がします。(ユーミンの曲の歌詞みたい)
    2019年01月09日 16:25