小千谷小学校時の作文

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PAKUTASO(目を閉じるたびに思い出す)より

小学生のときは、2年ごとにクラス替えがあり、その最後にクラスの作文集を作っていました。
したがって、6年間で3種類の作文集が作られたのですが、なんとその作文集が我が家に残っています。

その存在は、知っていたのですが、本日開いてみました。
ガリ版でわら半紙に手作り印刷したものなので、破れないように優しく開いています。
そして、その内容を思い出の記録として、少し長くなりますが、ここに残しておくことにしました。

学校は、新潟県小千谷(おぢや)市立小千谷小学校です。



「つくしんぼ」小学2年

小学2年時に作文なんか書けるのか?と思うのですが・・・
「つくしんぼ」は作文集の名前です。
そこには記録に残る私の最初の作文が残っています。

「つくしんぼ」小学2年4組の私の作文 担任:佐藤久子先生
ふとん

おとうさんが「おきなさい。」といわれたので おきてみたら十八円おいてあった。
それはきのうよるかたをたたいてやったから くれたんです。

おとうちゃんがふとんをしまった。
ぼくはまいにちおかあさんにしまってもらうけど きょうだけふとんをしまった。

先生におしえてもらったばかりだ。
ぼくは「じぶんのふとんは じぶんでしまいなさい。」とおかあさんにいった。

「はいはいしますよ」とわらいながらしまった。

●作文の内容は、全くひどいものですが、ごく身の回りのたわいもない出来事の作文で「かわいらしいなあ」と思います。

と、思いつつ他の方の作文を読むと、段違いに上手く私とは比べ物になりません。
1ページ目の最初の作文だけを紹介します。
でぶちゃん 大川光子(さん)

わたしのかあちゃん
  でぶちゃんよ
でぶちゃん でぶちゃんといったけど
  やさしい やさしいかあさんよ。
何と誌的なんだろう!
短い文の中から、その家庭の優しさの雰囲気が伝わってくる。

この方の作文は2つ書かれていましたが、どちらも詩的なセンスにあふれていました。
しかもインデントを使いこなしている
とても私と同じ小学2年とは思えない・・・


●私の作文中に、「おとうさん・おかあさん」という言葉と「おとうちゃん」という言葉が登場しますが、
普段は「おとうちゃん・おかあちゃん」でした。

かなり後になって「お父さん・お母さん」の言葉を使うようになりましたが、
この作文に「おとうさん・おかあさん」が登場したのには驚きました。
「普段使い言葉」と「よそ向け言葉」を使い分けていたのでしょうか?

●漢字は3種類だけ使っています、「朝、円、先生」です。

●「十八円」というとてもリアルな金額が登場しますが、小学生のときは基本的にはお金を使うことがなかったので、その価値は認識していないと思います。
遠足の時には「五十円」限度でお菓子を持参していいことになっていました。

当時は「五十円」で沢山のお菓子を買えました。
ほとんどのお菓子が5円・10円でしたから。ばら売りの「アメ」は1円・2円でした。
キャラメル、チョコレート、チューイングガム、すこんぶ(渋いなあ!)は遠足の定番でした。
これらを買ってもまだ買えます。
小学当時に5円・10円で購入したお菓子の多くは現在でも(価格は変わりましたが)販売されています。

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マーブルチョコレートもあった気がします。
※(2/15追加)妻に今でも売ってる?って聞いたところ、バレンタインデーに「マーブルチョコ」と「アポロチョコ」をもらいました。



この地域ではキャッシュレスだった

この地域は、新潟県小千谷市(おぢやし)です。
ここでは、今でいうキャッシュレスが浸透していました。

現金を持ち歩かずに買い物が出来たのですよ。
これって、すごいと思いませんか?
きっと、他の地域でも同様なシステムになっていたかも知れません。

買い物は全て「つけ」です。
名前を告げるだけでそこの家族ならOKでした。
もちろん会員証やカードやスマホなど存在しません。
でも「キャッシュレス」です。
決済は月末に1か月分をまとめて、お店の方が各家庭を集金して回ります。
現金に触れるのはその時だけです。

集金の際に、夏は「うちわ、てぬぐい」を、冬は「カレンダー、てぬぐい」を頂くのが習わしでした。
毎年のことなので、これがかなり溜まるんです。

扇風機もエアコンもない時代なので、「うちわ」は重宝したと思います。

※「うちわ」は、歴史がありますが、最先端技術でもあります。
なにしろ電気を使わないので、どこでも使用でき、しかも二酸化炭素を排出しません。
細かいことを言えば人間がエネルギーを少し余分に使うのでその分二酸化炭素を排出しますが、扇風機やエアコンの比ではありません。

なお、汗が出たときは頂いた手拭いで拭きますので、小千谷市は環境にやさしい先進的地域だったといえます。しかもキャッシュレスですからね。(レジ袋なし、レシートなしも付け加えておきたいところですが、これは全国的にそうでしたね。)




「青い空」小学4年

それから、2年経ち少しはましになったと期待しつつ、4年生の作文集を開きました。

「青い空」(副題:思い出)小学4年3組の私の作文 担任:阿部静子
バス旅行

バスにのっていくと、大河津分水につきました。
そこで大河津分水の話をきいて、おやつをたべた。
たべていたら雨がふってきたので、いそいでバスにのった。

寺泊についた。
雨がやむまで水ぞっかんを見物した。
いそぎんちゃくや、ひらめや、かめなどがたくさんいた。
中で一番気にいったのは、大海がめ、さめ、それからまぐろみたいな大きなさかななどだ。

二かいは、貝がらやさかなのほねなどがあった。
そのうちに雨がやんだので、ちかくのやどやにはいった。
ぼくたちはそこでごはんを食べた。
おやつもたべた。

こんどは遊んでもいいので、岩のところへいってかにをつかめた。
それから、貝や海草をとった。
かには一ぴきつかめた。

(づづく)
※中身はともかく、今回はかなり長いですね。
長い文が書けるという進歩が見られますね。
くれぐれも、内容はさておいてです。

(つづき)
かえる時間になったので、写真をとってバスにのった。
かにをにがすのはおしいので、かんからすなを入れて、水を入れて、かにを入れて海草を入れた。
水がこぼれるといけないので、ふたをしておいた。

やっと学校についた。
学校でおりて、とくべつな町内だけ家のちかくまでのしていってくれます。
ぼくたちはあさひやままでのっていった。

やっと家についた。
かにをしお水の中に入れて、つぎの朝見てみると、いなかったので、ぼくは”ちくしょ”と思った。

小2よりは漢字の種類がふえましたが、他の方の作文に比べるとかなり少ないことが分かります。
国語は苦手だったことが、この辺りにも表れていますね。

作文集の最後に担任の先生の言葉が書かれています。
「(前略)
五十六人がばらばらになっても、しっかり助けあい、仲よくがんばっていってくださいね。
どんな時でも、やる時はほん気でがんばり、人にめいわくをかけない、りっぱな生とになってくださいね。」
昭和三十六年三月 小千谷小学校 四年三組 (担任名)

当時は、このような先生の言葉は何にも頭に入っていないと思います。
今読むと、まったくその通りだと思います。

それにしても、当時は1クラス56人だったんですね。
現在はその半分程度ですね。



「あすなろ」小学6年
この作文集は、クラス単位ではなく学校全体になっていました。

冒頭に校長先生の筆で書いた言葉が掲載されていますが、当時読めた人はいないのではないかと思われます。
ものすごく達筆です。
願望

正しく強く優しい人、私はそんな人になりたいと思っている。
そしてみんなにもそんな人になって貰いたいと思っている。
世の中はそんな人を待ち望んでいるのだ。
平和の世界を築くために。

昭和三十八年三月 孝三九(印)

校長先生の名前は、「安住孝三九」先生ですが、署名は「孝三九(印)」となっていて、これが実にカッコいいです。


次のページは、校歌が掲載してあります。
作詞者は西脇順三郎さんで、この方はノーベル文学賞に何度も(1958年、1960年~1968年の10回)候補者になった(選考過程は50年間公表さず、半世紀後に分かる。)ことがあるんです。
なんたって、大学の卒論は全文をラテン語で書いたそうです。
卒論を書くのは、日本語でも大変なのに、英語でもなくラテン語とは、そのレベルの違いに驚きます。
この方は、小千谷小のOBだったんです。
もちろん、このようなことは、小学生の頃は全く知りません。


小・中・高・大と校歌があるのですが、一番覚えているのは小学校の校歌です。
中学と大学は全く知りません。
高校の校歌は半分ぐらいおぼろげに覚えていますが、小学校のは鮮明に覚えています。

校歌の冒頭に東の空にそびえ立つ「八海山」が登場しますが、東を向いても沢山の山があり、結局はどの山が八海山だったかは分からずじまいでした。
お酒では有名ですね。といっても小学生にお酒を進めている訳じゃあないですよ。

市内中央を流れている「信濃川」も校歌に登場します。
私の家は信濃川のすぐ隣で、といっても崖の下20m以上のところを信濃川が流れていましたので、洪水の心配は全くなかったです。

※この落差を利用した国鉄の水力発電所が近くにあり、東京方面の電車用に送電していました。

地図で調べると、赤いポイントのところが「八海山」です。
小千谷市は、その左上の方にありました。



「あすなろ」小学6年5組の私の作文 担任:田中貞義
男の先生になったこと

ぼくは四年生の時まで女の先生だったから 五年生になったら男の先生にならないかなと思っていた。
そして組かえの時紙に書いた。
新しい人の名簿がくばられた。
それに田中先生と書いてあった。
男の先生だったのでうれしかった。

結局のところ、小学1年から6年まで作文能力は全く進化していなかったようです。

作文の内容はともかく、学友の名前を見ると懐かしい気持ちでいっぱいになります。
みんなどうしているのか気になります。

私は校歌を作詞した西脇家の子孫の方と、SNSのメッセージを何回かやり取りしたことがあるのですが、同窓会の副会長を務められていました。
今度この方に同窓会の件で聞いてみようと思います。
なお、創立50周年(大正10年)には小千谷小学校は生徒数が増加して収容出来ない状態となり、西脇家が校舎全部を新築して寄付したそうです。


小千谷小学校は全国で一番古い公立小学校

小千谷小学校は、公立の小学校としては日本最古です。
昔は京都の番組小学校だといわれていたようです。

小千谷小学校が設立されたのは、1868年(明治元年)10月1日(実質的には慶応4年8月16日)、下タ町の五智院に山本比呂伎氏によって柏崎県知事の許可を得て設立され、現在に至っています。
(新しいデータが見つからないので)古いデータですが、2007年(平成19年)度の全校生徒は1030人で新潟県一大きな学校でした。

ちなみに京都の番組小学校が設立されたのは1869年(明治2年)で小千谷校開校の翌年です。

また、神奈川県横浜市立奈良小学校も1868年開校ですが、こちらは開校月日が不明です。

1967年(昭和42年)10月には当時の文部省教科書調査官・目崎徳衛氏が「小千谷小学校が公立学校として日本一古い歴史を持つ学校であることは、諸調査より厳然たる事実である」と述べています。

こういった話は、最近になって知ったので、嬉しい話です。
インターネットが普及していなければ、きっと知り得なかった話ですね。


創設時のいきさつ
明治元年(1868年)10月1日、戊辰の時、郷土の先覚者、山本比呂伎(ひろき)氏が小千谷村下タ町(現在の元町)の五智院の一部を借館し、柏崎知事の認可を得て開学しました。
そのとき「小千谷校・振徳館・小千谷学館」と称しました。

学校創設の明治元年(慶応4年)は、戊辰戦争の北越戦争で、小千谷でも「薩摩藩・長州藩・土佐藩を中心とする新政府」と「会津軍・長岡軍」との間にはげしい戦いの舞台となったときです。
全国に学校が作られたのは、明治5年(1872)になってからです。







今回は、私が卒業した小千谷小学校在校時に書いた3つの作文を記録に残すとともに、関連して思い出したことをつづりました。
記録として書き残すことを、今朝思いついたのですが、想定よりもかなり長くなってしまいました。

特に作文の部分は記録なので、作文集のままで、言葉も変なのが多いですが一切手を加えませんでした。

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この記事へのコメント

  • tor

    懐かしい作文がでてきましたね。
    小学生時代は新潟で過ごされたのですね。
    私の作文も実家に眠っているような気はしますが。
    読み返すと当時のことが思い出されるでしようね。
    自分の成長の過程も実感できて。

    個人的には「マーブルチョコ」ですね。
    商品は今も有りますが
    当時鉄腕アトムのシールを集めていたことを思い出しました。
    2020年02月13日 20:34
  • わけい

    torさんへ
    コメントどうもありがとうございます。
    小学生の作文は読んで楽しいですね。
    ここでは正直に小4、小6のときと書きましたが、出来れば全て小2の作文にしたかったです。(-_-;)

    グリコのキャラメルのおまけが欲しくて、という話を妻にしたら「私もそうだった」とのこと。
    マーブルチョコのシール集めもありましたね。何のシールだったかは覚えていませんでした。蓋を取るとき「ポン」と音がするのも、あ~そういえばCMに出てた女の子がいましたね。
    2020年02月13日 21:47
  • フラバーバ

    昔の文集が 良く残されていましたね。
    わけいさんの 正直で 素直な 幼いころの姿が
    目に浮かんできましたよ。
    私も 提出した作文が 返されると 全部 閉じて
    長い間 手元にあったのですが 何度も 引っ越しを
    繰り返している間に 無くなってしまいました。
    まぁ 今 もしも 残っていたら 恥ずかしくて
    読めないと思います。
    そう言えば 我が家も 昔は つけで 物を買っていました。
    時代の最先端をいっていたのですね。
    2020年02月13日 22:17
  • わけい

    フラバーバさんへ
    コメントどうもありがとうございます。
    私の作文はひどいものですが、公開しました。
    全ての作文が小2の時なら、「恥ずかしいぐらいがちょうど可愛い」との主張が出来そうなので、3つとも小2の時の作文にしたいぐらいです。
    でも、今回しっかり読みました、読みながらとても恥ずかしかったですが、何十年も昔の話なので、(今でも変わっていないかもしれませんが)思い切って記事にしました。
    フラバーバさんも最先端の「つけ」だったとのことですが、これって全国的だったんでしょうか?
    日本は、世界的にキャッシュレス先進国だったということになるんでしょうかね。
    面白いですね。
    今の若い人は「つけ」なんて制度を知らないでしょうから、キャッシュレスなんて「昔からあったのよ」って言いましょう。「スマホの電池切れの心配のないキャッシュレスよ」ってね。
    2020年02月13日 23:19
  • ゴンマック

    こんにちは。
    小学生時の作文、凄いですね。
    高学年になると漢字も増えて成長が感じられますね。
    いい小学校時代を過ごされたのですね。
    アポロチョコは発売50周年との事。50周年記念
    限定商品も出ているようですよ。懐かしい、今も
    ありますけれど、頑張っていますね。
    2020年02月16日 18:13
  • わけい

    ゴンマックさんへ
    コメントどうもありがとうございます。
    私の小学校の作文で褒められるとは、ゴンマックさんは人間が相当できてますね。
    ゴンマックさんを少しは見習いたいです。
    アポロが月でかぐや姫にあったきたとの話は、私が大学受験の時でしたが、話に聞くとそれを記念して発売され現代に至るって、妻から聞きました。
    チョコの形は以前から知っていましたが、名前までは知りませんでした。
    長寿商品ですね。
    アポロが月に行ったとき、ビートルズが「アビーロード」のアルバムを録音していたという話を、昔、職場の朝礼で話をしたことを思い出しました。
    記念限定商品があるとのお話、私がもらったのはどっちだったか、後で確認してみます。
    2020年02月16日 23:03
  • すずりん♪

    小学生時代の作文がよく残されていましたね。
    ご両親の愛情を感じます。
    微笑ましい作文にほっこりしました。
    そして私までひと時小学生時代の思い出に浸りましたよ。
    遠足のおやつが50円だったのは同じです。その中で何を買うか知恵を絞りましたよね。
    マーブルチョコ、ポンと開けて、食べるとガリガリ、懐かしいです。
    マーブルマーブルマーブルマーブルマーブルチョコレート♪コマーシャルソングも浮かんできました。
    小千谷と言えば中越地震の被害を受けたところですね。
    もうご実家はないのですか。
    2020年02月18日 11:48
  • わけい

    すずりんさんへ
    コメントどうもありがとうございます。
    昔の作文集が残っていて有難いと感じます。
    遠足の50円は同じでしたか。(笑)
    何にするか一生懸命に考えましたよね。
    50円には含まれませんが、梅干しだけ入った大きなおにぎりが2つを新聞紙にくるんでいた気がします。
    50円でずいぶん楽しめた思い出があります。

    小千谷には今でも友人はいますが、私は小学時代しか小千谷に居ませんでした。
    中学以降は埼玉の大宮(現さいたま市)に引っ越してきました。
    中越地震時は私は埼玉でしたが、支援のため職場から小千谷に派遣された人がいました。(阪神淡路の時も同様でした。)
    2020年02月18日 15:55